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2010/11/30

タイニーストーリーズ 「紙魚的一生」 山田詠美


「タイニーストーリーズ」山田詠美
¥1,400(送料無料)



文藝春秋
2010年10月30日発行
341ページ


さすが山田詠美と思わせる物語です。でもそんなことを言ってしまうと、ありきたりだし陳腐に聞こえてしまうのですが。

なぜなら、山田詠美さんの書く物語は、たいていが「さすが山田詠美」と思わせられるものばかりだからです。

なので、私の言う「さすが山田詠美」という言葉は、私が思う山田詠美らしさが発揮されている作品という極めて個人的な感覚だということです。

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一人称で書かれた話は、一見つらつらと主人公女性の気持ちを書きなぐっただけかのようにも見える。

でも、歯に衣着せぬ毒舌ぶりと、なのにただよう品の良さは、さすがエイミー!と言わずにいられましょうか。

まさに、山田詠美の博学ぶりと、あえて感じさせる庶民っぽさが同時に味わえる話なのです。


タイトルもいいですね。「紙魚」と書いて「しみ」と読むなんて知らなかった…。

読書量や知識量の圧倒的な違いを感じてしまいました。


ストーリーは、主人公女性(固有名詞はなし)が、「知性にあふれる男性と結婚すること」を目標にし、それを叶え、現実を思い知らされるまでの話です。

本を読む男は知性にあふれていると思い込んでいた彼女。

結婚した相手は、置き場がなくなるほど本を買いこみ読みあさる男だったのです。

ひとり部屋にこもり、話しかける隙も与えないくらい読書に没頭する、単なるオタクだったわけですね。

私に見えない知性って、ほんと、つまんない。

この場合、知性って書物そのもののことね。

それ読んでる男が持ってるのは、知性ではなく知識。

という箇所があって、なるほどなーと思いました。

確かに知性と知識は別物ですよね。

彼女が欲していたのは、

あらかじめ知性の匂いを放つ男を側に置いておけば、どこにも売っていない芳香剤の役目を果たすのは必至。

自分にない要素を持つ者に引かれるのと同時に、自分を引き立たせる男性を求めていたわけです。

「知性」という言葉からきれいなものを連想させつつ、裏にひそむ腹黒さを恥じらうことなく表現するところもエイミーらしさです。



感心するばかりではなく、笑える表現も多かったです。

いちゃいちゃするカップルと、そんな二人に嫌みを言いイライラするおばさんのシーン。

私には、どちらも死んでおしまい、としか感じられない。……(略)……

しかし、死ぬと、どんなみっともないカップルも純愛本の登場人物に昇格するんですから、そりゃ便利で、その便利さを彼らに与えるのは、忍びないので、生きていてもらおうか。

笑うと同時に、そうそうそのとおり!と拍手したくなりました。

そうなんですよね。どんなゆがんで見える愛でも、そこに「死」がプラスされると、純愛に昇格させることができてしまうのですよね、フィクション物語って。

なんとなく気付いていたけど、はっきり悟っていなかったことを、また山田詠美さんに教えられてしまいました。

一体今までどれだけ人生教わってるのでしょう、私。

もうひとつ、声を出して笑った節をご紹介します。


たまたま知り合った男性(いわゆるチャラ男)に、この本泣けるから読んでみなと言われた主人公。

だけど彼女は、素直にそれを読んだはいいが、泣くどころか失笑してしまった。

 「病人がみなに惜しまれながら死んで行くという、由緒正しきお涙ちょうだいものであった。」から。

これで泣けないなんて、生き物的に問題ねえ?」と言った彼は続けて「こんな綺麗な涙がおれにもあったのかって、発見出来ちゃった嬉しさ?そういうの感じて、自分捨てたもんじゃねえじゃん、みたいな?」と。

そこまでの書き方も笑えたが、続く文章がもうたまらない。エイミー節炸裂。


自分の涙が宝石のように思える瞬間は、恍惚を呼び寄せる。

それは、解る。…(略)…

その男の涙は、想像するに、宝石ではなく、鼻水と混じり合って糸を引く納豆のようであろう。

ああ、神様が涙を、あたかも透明の水のように作ったから悪いのだ。

納豆にすりゃ良かったのに。

そうしたら、現実でも本の中でも、あれ程、涙を大安売りすることはなかったであろう。

恋人同士の別れ。涙にむせぶ二人。

納豆がぼろぼろとこぼれ落ちる。

そうなれば、互いに未練たらたらになることもなく、あっさりと身を引くことは可能になるであろう。

納豆大好きな者たちであったなら?

もうそん時はそん時で、葱を刻んで醤油をかけてかき混ぜて食ってしまえば良いではないか。……(続く)

こんなかんじで、涙が納豆になってしまうわけです。

想像して、笑わせてもらいました。目から納豆って・・・お笑い芸人かっ、と心の中でつっこんでもみました。

今後、人の涙を見たら、納豆に見えてしまったらどうしようかと不安と期待でいっぱいです。

悲しい涙や悔しい涙が、納豆に見えることで悲しさや悔しさが減るのなら、エイミーに感謝です。

うれし涙だったなら、もっと笑顔を含んだうれしさに昇格するでしょうね。

こんなことを思いつくなんて、尊敬せずにいられません。

しかしながら、私事ですが、「血の色が赤ではなくて白や淡いピンクや黄色だったなら、殺人事件のドラマやサスペンス映画も怖くなかっただろうな~」と考えたことがあります。

や、山田詠美脳に近づいてる!?
…自画自賛で申し訳ありません。


さて、そんなこんなで、毒舌と想像力に笑いながら感心しながら読み進めて行きますと、ようやくといったかんじで、主人公とだんなさんの会話のシーンになります。

ですます調で話すだんなさんは、やはり独特な人間だなーと思っていると、あっけなくラストシーンに突入。

なんと、大量の本詰まった本棚が倒れて来て、二人が死んでしまうという結末。

まったくもって悲しさのこみ上げない死のシーンでした。

だってこんな文章で締めくくられるのですから。

敗北感よ、来い!

もうじき、私たちは、押し花ならぬ押し虫になるだろう。

目を閉じよう。

私たち、この種族としては、長生きした方だもの。

歴史ある誇り高き知性の残骸として、生涯をまっとうしようではないか。

外の世界から、ついに本の扉は閉じられた。

ぱたん。

さらば。


か、かっこいい!かっこいいではありませんか。

「本の扉は閉じられた」 なんて、おとぎの国を連想させ、一気にロマンチックな物語にランクアップしてしまったかのよう。

「ついに」という、本当に最後の最後で使われた単語は、私のバイブル「アニマルロジック」でも同じように最後の最後で使われていて、気持ちが高ぶってしまいました。

ページ数にして6ページ半の短編ですが、そこに詰まる言霊のパワーに圧巻でした。


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