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2011/02/04

チョコレートの世界史  武田尚子



チョコレートの世界史  武田尚子
¥780(送料無料)




中公新書
2010年12月20日発行
225ページ


もうただタイトルに惹かれて手にとりました。チョコレート好きなら見逃さないタイトルだと思います。

チョコレートと言えばカカオ。本書では、カカオの説明から始まり、チョコレートがどのように生まれどのように人々に受け入れられていったかを、当時の歴史背景と重ねてていねいに書かれています。

本書を作るにあたって、日本はもとより海外にも足を運び、チョコレートやココアを口にしていたと、あとがきにあることから、著者である武田尚子さんも、きっとかなりのチョコレート好きなのではないかしらと勝手に推測。

具体的なメーカー名や商品名も多く登場しますが、ひとつ確実に言えることがあります。

この1冊を読み終える頃には、あなたはきっとキットカット博士になっているに違いありません。

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チョコレートの歴史は、カカオの歴史といっていいでしょう。チョコレート誕生まで、長い長い道のりがあるのですから。

15世紀までのカカオをめぐる登場人物はマヤ人、アステカ人。彼らの社会では、カカオは宗教、経済、身体に力を増強させることができる神秘的なパワーの象徴として珍重されました。

豊穣祈願にカカオを供え、女の子が生まれるとカカオを奉納し、結婚式の引き出物にもされ、死者の旅立ちに捧げられ、つまりは、この世の人々の思いを神々へ橋渡しする霊力を持った存在とされたのです。

日常生活では、カカオは飲み物でした。しかし、私たちが想像する甘いものではなく、苦くて刺激の強い飲み物だったというのですから驚きです。彼らの間では煎じ薬のような存在だったのでした。

ただし、裕福な人々に限り、この頃からすでにバニラやハチミツを加えて甘くして飲んでいたのです。

おおそこまで発展してしまうのか、と思ったことは、ココアは宗教的論争の争点になったということでした。

「薬品か、食品か」「液体か、固体か」という論争だったというのです。しかもこの論争、16~17世紀にわたり、ほぼ100年続いたというのですから、いかにこれに関わった人々が執着心があり時間があったか察することができます。

結局その栄養価から、「薬品」として定着していったカカオ。16世紀には、ポルトガルの宮廷に「チョコラテイロ」と呼ばれる宮廷ココア担当官が設けられました。

お偉いさんにココアをお出しすること、軍のための病院でカカオを処方し(薬ですからね)備蓄するというのがチョコラテイロの仕事でした。

現在で言うショコラティエを思い浮かべてしまいました。私がもし当時生きていたのなら、味見ができるという特権のためにぜひ立候補したことでしょう。

ココアを販売する業者のひとりとしだったヴァン・ホーテンは、1815年にアムステルダムでココア製造・販売を始めました。

今ヴァン・ホーテンの公式サイトをのぞいてみましたら、「世界で初めてココアの製造法を発見」とフラッシュ映像とともに、彼の肖像画が登場しました。こちらでもまたココアとヴァン・ホーテンの誕生について読み知ることができます。

確かに名誉なことであり、メーカーとしてはアピールし続けたい事実ですよね。
(参考:公式サイト


長い間飲み続けられたココアですが、とうとう固形チョコレートが誕生します。
それは1847年、イギリスはブリストルの町においてのことでした。

カカオの加工がいかに手間がかかる仕事であるかが詳細に書かれています。ヨーロッパではカカオの磨砕を専門にする職人まで誕生したほどです。

カカオマスをプレス機にかけて、脂肪を搾り出しココアバターを取り出す技術は、すでに1828年にヴァン・ホーテンが編み出していました。その後、カカオマスからいかに脂肪分を抜くかということにますます関心が寄せられていったのです。

結果、ブリストルのフライ社が固形チョコレートを作り出しました。といってもチョコレートの歴史はまだまだ始まったばかり。ここからさらに技術改良に長い時間を要することになるのです。



1880年代には、ココア製造業者による「広告の時代」が始まりました。誰に向かって製品をアピールするのかが課題になったのです。

労働者の疲れを癒す栄養価の高いココアはそれまで大人向けだったのですね。しかし、次第にココアのメイン・ターゲットは子供に向いていきました。

時を経て、ようやく日本にもロウントリー社のココアが販売される日がやってきます。ロウントリー社と提携し輸入したのは森永製菓でした。

日本ではじめてチョコレートが製造・販売されたのは1878年です。それは、カカオ豆から製造したわけではなく、原料チョコレートを輸入し、加工して売ったものだと推測されています。

1920年、森永製菓のミルクチョコレートは1枚10銭。当時の女工の賃金が1日20銭だったことからも、いかにチョコレートが贅沢品だったかがうかがい知れます。

輸入をしていた日本と違って、イギリスのココア・ビジネスは重要なものでした。産業化が進展する一方で、貧困も深刻化していたのです。

ロウントリー社の息子シーボームは「貧困 都市生活の研究」という本を出版するほど真剣に事態に取り組み、労働者の生活向上のためココア・ビジネスを成功させるべく努力します。シーボームはのちにロウントリー社の社長となりますが、引退後もヨークで貧困調査を続けました。

彼が築いたものは偉大だったと強く思います。3,000人近くに膨れ上がった従業員の生活を保障するべく、住居対策と退職後の老齢年金を早々に取り入れました。

シーボームの父親は、工場に隣接する住宅を従業員のためにヴィレッジとして建設するしで、なんとまあできた父子なのでしょう。彼らは、人間として豊かな内実を供えた労働者が育ってほしいという理想を持ち、着実に現実化していったのです。

スイーツの製造、仕分け、箱詰め作業に従事した「ファクトリー・ガール」たちは皆、ロウントリー社で働いた日々は楽しかったと語ります。

仕事中に笑い歌うことも禁じられず、美しいチョコレートを作り箱詰めすることに誇りを感じ、創造的な喜びを感じていたのです。技術の高さを競うコンクールも社内で開かれ、それが励みにもなりました。

先輩後輩の仲も良く、社内で自転車レースや園芸ショーが開かれるなど、社会活動に積極的なロウントリー社の熱意が伝わってきます。



20世紀に入り、ロウントリー社は商品のイメージを決定づける広告にも力を注ぎます。写真は本書見開きにあるものですが、素敵でかわいらしいイラストのものばかり。ココアが飲みたくなるし、チョコレートが食べたくなります。


次に登場するのがかの有名なキットカット。この世にデビューしたのは1935年9月のこと。当初は「チョコレート・クリスプ」という名前でした。

キットカットが誕生するまでいかに苦労したかが印象的でした。ウエハースとチョコレートが多重状になっていて、さくさくとした歯ごたえがあって、ポキッと簡単に手で折れるという形になるまで何度も試行錯誤しています。

キットカットって、最初は長時間労働者のために作られたものだったのですね。

肉体を酷使し長時間働く人々にとって、つかの間の休憩時間はものすごく安らぎの場でした。そんな時、手を汚さず少しの量で高エネルギーを得るために作られたのがキットカットだったのです。

そんなことを知らなかった私は、この話を読んだ直後にコンビニでキットカットを買い味わいながら食べたのですが、なぜか胸が熱くなってしまいました。あらためてかじったあとのミルフィーユ状の部分を見つめ、感動してしまいました。


下の赤いキットカットはおなじみですが、上の青いキットカットは見たことがありませんよね?キットカットの「青の時代」。切なくも再び感動してしまう秘話がここにあるのです。

1935年にキットカットが誕生し、4年後の1939年に第二次世界大戦が始まりました。原材料不足から食料品の消費者価格は高騰。キットカットは第二次世界大戦中だけ青のラッピング・ペーパーになったのです。

青のラッピング・ペーパーには次のように印刷されました。

チョコレート製造に使うミルクを充分に入手できないため、平和な時代(peace-time)に召し上がっていただいていたチョコレート・クリスプをいまは作ることができません。キットカットは現在調達できる原材料で作ることができる最も近い味のものです。

このようなことを商品に書く会社があるのですね。そこに強く心があることを感じます。最良のキットカットを提供できない会社の心苦しさが伝わってくる言葉です。

「キットカット」という名称が「チョコレート・クリスプ」から切り離されて単独で用いられるようになったのは、この戦時中1941年のことでした。キットカットは配給品のひとつとなり、生き延びていったのです。

有名な「Have a Break,Have a KitKat」というコピーは1962年の秋から始まったと言われています。大量生産・大量消費の経済成長期のライフスタイルに合わせて、多忙な仕事の合間をぬった午後、ほっと一息ついてくださいね、という気持ちをこめて作られたコピー。

キットカットは順調に売上を伸ばし、海外へも進出するようになります。ロウントリー社と言えばキットカット、というほどの看板商品に育ったわけです。

日本では、不二家が1973年からキットカットを売り出しました。この頃、ロウントリー社は吸収合併し、ロウントリー・マッキントッシュ者になっていました。

その後、チョコレートの本場ヨーロッパでは、グローバル・スイーツの時代へ突入します。家族経営でこじんまりとおいしいチョコレートを作っていたところが、大手メーカーにどんどん買収されていったのです。

例えば、かの有名な高級チョコレート「ゴディバ」も1974年にキャンベル・スープ社に全権をゆだねます。

家内工業的生産体制だったベルギーの自営業者は、1960年代以降は外国企業と契約を結び、多国籍に展開するようになりました。ここに、国際的な宣伝戦略が功を奏し、ベルギー・チョコレートの地位が確立したのです。

小さいところが大きいところに飲みこまれていく図式は、チョコレート界に限ったことではありませんが、小規模ながら大切に味を守ってきたことを思うとちょっぴり寂しい気もしてしまいます。

反面、そのおかげでゴディバの味を知ることができたのですから、やはりありがたいのでしょうね。


他のスイーツに比べ、お値段が高めのチョコレート。

ですが、こんな状態のカカオから、あの魅惑の褐色のチョコレートが誕生すると考えれば、納得して食します。

このカカオを作ってくださる人々についての、フェアトレードの話も最後のほうに少し書かれていました。

ココアやチョコレートが、太古の昔から、いかに私たち人間に寄り添ってきた重要な食べ物や飲み物であったかを、深く知ることができました。

詳細に調べて書かれた世界史についても、復習することができたと思います。

それでは、ちょうど今純カカオがありますので、牛乳と黒砂糖といっしょにココアを作ってひと息入れたいと思います(キットカットがあれば完璧でしたね)。


★武田 尚子さんプロフィール

お茶の水女子大学文教育学部卒業、東京都立大学大学院社会科学研究科(博士課程)修了。
武蔵大学社会学部講師、助教授を経て、同大学同学部教授。
2007年度に英国サウザンプトン大学客員研究員、エセックス大学客員研究員。
博士(社会学)、専攻・地域社会学、都市社会学。

他著書
  


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